こんにちは、礼奈です。

礼奈の日記です。読む価値がないひとりごとしか書きません。

自閉症の聴覚過敏持ちにとって近所の石焼き芋の広告が公害で地獄なのでいい加減にしてくれという話

Twitterで私をフォローしてくれているありがたい約3000人の皆さんなら聞き飽きていると思うのだが、また石焼き芋の話をする。

今日は大事な予定でずっと集中していなければいけなかったのに、石焼き芋の広告(選挙カーみたいな大音量で、家の周りを1時間かけて回る公害)がうるさすぎてパソコンを投げそうになった。ふざけんな。私が失敗したら石焼き芋のせいだ。

大阪府にお住まいの聴覚過敏持ちの皆さんのために、車のナンバーはメモしてある。名古屋480 ふ 3673だ。心当たりがある方はぜひ通報に協力してほしい。四日市ぜんそくと同じような公害はさっさと潰されるべきなのだ。

公園の騒ぎ声やピアノの音がうるさいとか、騒音問題はいつも話題になる。しかし、「お前ら、静かにしろよ」と言うことで報復にあう、最悪殺されることだってあるからなかなか言いづらい。多くのひとにとっては「気にしすぎ」「敏感すぎ」なのかもしれないが、こっちからしたら石焼き芋の音がうるさいということは自殺を決意する最後の理由にすらなりうる。針山を歩いているような、体中に針を刺されるような、そんな拷問なのだ。私が中世ヨーロッパなどで拷問する立場なら、間違いなく不快な音を大音量でかけ続けるという要素を刑に加えるだろう。もちろん石焼き芋なんかのために死ぬことはしないが、追い詰められているときに「よっしゃあ、死のう」と最後の1歩を踏み出す理由には、十分なりうる。

地獄なのは、理解者が少ないことだ。前述のように私の問題とされることがまた苦痛なのだ。明らかに迷惑なのは石焼き芋の広告を耳元で1時間も聞かせられるという拷問を行う側であるのに、なぜ私が悪くならなければいけないのか? 私は2022年のウクライナと同じように、一方的に攻められ続けているだけの立場で、圧倒的な被害者だ。加害者側を責めず、被害者側を「ネオナチ」だとか「ユダヤ系」だとか言って責めるのは、ロシアの味方をするようなものだ。なぜ歴史は被害者の側に「お前だって悪いだろう」と言ってくるのか、ロシアの例なんか考えなくてもすぐに石焼き芋の例により私にはわかる。

言うまでもなく、選挙カーも同じだ。こんな公害が許されている国を、ノイジ―マイノリティーかもしれないが私達聴覚過敏持ちを見て見ぬふりする為政者がいる国を、私はあまり好きになれない。日本にはいいところがたくさんあるのに、それだけ(「だけ」でもないかもしれないが)が気に入らない。

Stand With Ukraine

死別の悲しみの渦に飲まれてしまった彼女へ

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと

 

とあることで時間が止まってしまった方のプロフィールを見に行った。毎日グリーフにこころを潰されていく様子を見ていると、いつか本当に彼女が自殺するのではないかと思えてしまう。生きていてほしい。亡くなったひとのぶんまで。そう思うのは彼女にとってあまりにも重荷だろう。言葉がない。

彼女は直接「死にたい」とは書いていなかったが、きっとそう思っているか、もしくはそう思えないほどこころが傷むのだろう。あまりにも大きな痛みは、こころを麻痺させ冷凍保存させる。痛みを感じなくなるが、そのかわり重大な副作用として喜びも嬉しさも感じなくなる。笑えなくなる。泣けなくなる。

冷凍保存されたこころは、冷たくて、痛い。まるで死人みたいだ。大切なひとを喪うということは、自分を亡くすことだ。忙しいという字は心を亡くすと書くけれど、忙しくでもしていないと、ふとした弾みに、ちいさな段差に、自殺してしまうのだろう。自殺するひとは、こころが弱いのではない。

あまりに大きなものを喪って、もしくはちいさなものをたくさん喪ったひとたちだ。あとひとつのちいさな段差で躓いてしまうと、ひとは「これくらいの段差で大げさな」と笑うが、ひとにはこの高い壁が見えないのだろう。見えないからこそ、水面下で溺れ、気づいたときには息ができなくなってしまう。

もうすぐ、あの夏から7年が経つ。あの街から全てを奪った夏という季節になると、私も胸が痛くなる。どうして、生きていくことはこんなにも痛いのだろう。そして、こころが解凍されていくと、黒い水が出てくるのだ。そのときが、いちばん痛くて、苦しくて、そして熱くて火傷しそうになる。

抑圧されていた、被虐されていた、重く黒い感情が一気に溢れ出すときが来ることは、トラウマ持ちには避けられないことなのだろう。冬を過ぎ春になって自然に解凍するようなものならいいが、私の場合はとにかく沸騰していた。こころを構成するたんぱく質の成分が不可逆的反応を起こしてしまっていた。

同じことが、きっといつか彼女にも起きるのだろう。そのときには、ほんとうに、文字通り、死ぬことしか考えられなくなるのだ。重く暗いこころに光がさして、また生きようと思えるまでには、ひたすら茨の道が待っているのだ。その途中では少しのミスも許されない。とにかく、転ぶことは死を意味する。

グリーフケアに関わりたいとは漠然と思っているものの、苦しみを抱えて生きるその道での伴走者になれるようになったらと思っているものの、あまりのことに言葉を失ってしまう。彼女は思い出のアルバムの中を生きていて、こころは過去に置き去りにされている。その解離が、その別離が、とにかく痛い。

現在を生きていない彼女のこころと、現在を生きている彼女のからだの距離が離れれば離れるほど、痛くなる。あの夏を生きているこころは、だんだん徐脈になり、やがて心肺停止しまうのではないか。私は彼女のことがとても心配だ。こころを現在に持ってくるには、どうしたらよいのだろう。

マインドフルネスでは、こころを「いま、ここ」に持ってくることを目標としている。そうはいっても、それは全くもって簡単なことではない。その過程には溺れそうになる苦しみが伴う。精神科にお世話になることも、あのような過疎地域ではハードルが高い。その度にローマやリエーティまで行けというのは到底無理な話だろう。

グリーフケアに関わって、苦しんでいるひとが溺れているのは私には見ていられない。ことしこそ、誰かに浮き輪を渡せるひとになりたい。港まで泳ぐのはあくまでも彼女の仕事だ。ただ、港までの豪華客船は私には用意できなくても、浮き輪なら渡せるだろう。冷たく凍えてしまいそうな冬の海に、そっと浮き輪を投げる、そんな年にことしをしたい。

海外在住経験者として、日本の大学受験について思うこと

こんにちは。

 

唐突なんですが、私は外国語が流暢に話せるのに、日本の大学入試だと一切加点がないんですよね。センター試験は6か国語に対応していたのに、共通テストはどうなったんでしょうね。外国語ができる受験生が優遇されないのはおかしいと思うんです。推薦入試なら優遇されるのかもしれませんが(面接や自己PRなどで)、一般入試でも加点されるべきだと思います。外国語だけではなくて、特技が活かされないでペーパーテストだけって、ちょっともったいない気がするんです。特技に費やした時間は何だったんだって、病みそうになる受験生もきっといるはずです。

また、帰国生入試は楽でいいなんて言われますが、帰国子女じゃない私が言うのもなんですが、帰国性入試って一番しんどい入試だと思うんです。なぜなら、海外の学校で学んだことと日本の大学が必要としているものが全く違うからです。例えるなら、英語の勉強をしながらインドネシア語をやるようなものです。そして、自分は英語ができるのに、インドネシア語の知識だけが必要とされるからまたインドネシア語をいちから学ぶ、みたいなものです。とくにIB(国際バカロレア)を持っていて、海外の大学と日本の大学を同時に受験するような方には頭が上がりません。私は受験生時代は海外の大学だけに専念していました。

私の受験を振り返ると、高校3年生の2月がちょうど2020年で、コロナが広まってきてこれじゃあ海外に行けないかもしれない、ということで、日本の大学を急遽受験しようってことになったんですよね。履歴書的に空白の期間って精神的に一番しんどいから、どんな大学でも籍を置かせてほしいということで。センター試験当日は(私の代が最後のセンターでした)ヨーロッパにひとり旅していたのに、急に受験生になったんです。結果、偏差値をかなり落としたため、特待生としてある大学に合格して、そこでは授業料を一切払わなくていいっていうコスパ最高の受験をしたんですよね。

ツイートでも書きましたが、指定校推薦ってやたらとバカにされますが、指定校だろうがなんだろうが受かってしまえばこっちのもんだと思うんです。指定校を叩く人は市抵抗に泣いてるんじゃないですか? もちろん大学入試制度にはいろいろな問題があるでしょうが、指定校入試を責めるなら受験生ではなくその制度を作った大学側を責めるべきだと思うんですよね。受験生に罪はないし、自分が一番得意とする方法で受かったってだけですよね。

私文(私立文系)だってやたらと叩かれますが、私文だろうがFランだろうが受かってしまえば「大学生」になれるんです。Spotifyの学生割引が受けられるし、世間一般からしたら同じ「大学生」なんですよ。

災害で死ぬくらいならいっそその瞬間に青酸カリを注入して安楽死させてほしい

タイトルからどうもまとまりがないですが、深夜1時半に書いているのでまあ了承してください。

とにかく、私が言いたいことは「災害で、苦しんだあげく避けられない死を迎えるくらいなら、アップルウォッチが心拍の弱まったのを検知して救急車を呼んでくれるように青酸カリを注入するなどしてさっさと死なせてくれ」っていうことです。

口論になって生き埋めにされたひとがアップルウォッチのおかげで助かったという事例があるそうですが、人間ってほんとに怖い生き物ですよね。

話がそれましたが、とにかくこのブログの記事にはまとまりがないですし、まとまりなんて期待しちゃだめです。深夜1時半に眠れない夜に書いているブログなんてこんなもんです。

青酸カリ注入の仕組み

アップルウォッチのように時計型で、腕にはめておくことができるデバイスをまず作ります。

常に心拍数を確認しておいて、ある程度を下回った場合に、救急車を呼ぶのではなく、青酸カリかバルビツール酸か大量のベンゾジアゼピンかなにかを体に注入して即席安楽死を図ります。致死量を入れておくのが望ましいですが、それが効かなかったときのために致死量の数倍の量を追加投入できる仕組みもあるとなおいいです。

意識レベルの低下がみられた場合には、無許可でさっさと注入します。

意識がまだある場合には、なにかの方法で確認をして、ロック解除できる仕組みもあっても良いです。

青酸カリを注入する代わりに、なにかのコマンドを使ったら安楽死ではなく救急搬送されることもできるようにします。

災害時の対応

災害が起きたら、GPS機能(高精度)をオンにして、いまどこに傷病者がいるのかを救助隊にわからせるようにします。

安楽死した場合には、安楽死したことをどうにかして救助隊に伝え、つまりそこを掘るのは最後でいいということを伝えます。

そうすれば、逝きたいひとと生きたい人のどちらにも優しい世界になるという魔法のような発明です。

礼奈の病歴と過去 - 私の病名は何なのか

皆さんこんにちは。はじめての記事を書いています。ご覧くださりありがとうございます。

最初に言っておきますが、Twitter同様、たいして意味のないことしか書きません。ご了承ください。壁打ち以外のなにものでもありません。時間を無駄にしたい方以外には読んでも価値がないです。

Twitterは同じIDでしていますので、ブログ経由で「このひとの壁打ち、面白いな」と思ってもらえたらぜひ覗いてみてください。たいしたことは書いていません(2度目)。

病歴

いよいよ病歴の話に入ります。

先天性の内部障害のため、生後2か月から何度も入退院と手術を繰り返しました。このときに親が頑張ってくれたため、その後のQOLは大きく上がりました。しかし、遺伝の可能性が少しでもある限り、親を恨まずにはいられないこともありました。これがアセクシャルで反出生主義者になったひとつの大きな理由だと考えています。

特別支援学級で過ごした日々

小学生になると、自閉症のため特別支援学級に在籍し、国語と算数だけ支援学級で受けてその他の科目は普通級で受けていました。IQは130あったせいで(いまは知りません)授業は退屈以外のなにものでもありませんでした。

内部障害のため、月1回は学校を休んで診察に行かなければならず、それが一番嫌でした。友達もいたし、なんだかんだ言って学校生活はそれなりに楽しかったのです。

支援学級にいたR君に淡い恋心を抱いていました。結婚したいとすら思っていました。初恋は実らないといわれていても、絶対にR君と結婚する、と信じていた時期でした。

内部障害発達障害があるせいで、小学校6年生ではいじめられました。しかし自殺を考えるどころか学校にも毎日行っていました。それはただ単にR君に会いたかったのが大きかったです。

二次障害の発症

中学3年生のころまでは平穏な日々が続いていたのですが、14歳の夏にすべてが一変しました。

毎日ニュースを見ていたので、いつものようにニュースを入れると、そこには災害に関する衝撃的な映像がありました。私はただリモコンを握っていることしかできませんでした。

偏差値70の高校に受かりたくて必死に受験勉強していたのですが、手が震えたり、動悸がしたり、なんとかごまかせるくらいの不調が続きました。

その高校には受かったのですが、教室が4階にあるため、そこまで行くのが精一杯。家と高校は隣なのに、朝起きられず、遅刻する日が増えました。そこで発達障害のため通っていた児童精神科で、起立性調節障害と言われたものの、検査をしても正常で(立ったり寝たりして血圧測定するやつです)結局血圧を上げる薬などは飲んでいません。

高校2年生の8月(その災害から2年後)、記念日反応(そもそも私は被災していないのでこの言葉は適切ではないけれども)で眠れなくなり、死にたいと思うようになり、見かねた家族がやっと精神科に行こうと言ってくれました。そこから抗不安薬抗うつ薬を、ほんとうに少しずつ飲むようになりました。その病院にはいまもお世話になっています。

高校3年生の夏にも記念日反応(そもそも私は被災ry)が出て、入院したいと言ったら、近所の大きな精神科単科病院に入院することになったのですが、あまりにもなにもない場所で、むしろスマートフォンや音楽などの気晴らしがないぶんしんどいし、食事も合わないし(私はマヨラーなのですが、マヨネーズを持って行ったら看護師さんに「これは持って行けないから家族が持ち帰って」と言われたのです)、任意入院だったのもあり1日でさっさと退院してきました。

災害が起きた国への留学が夢だった私は、2020年にその夢を叶えました。しかし、その地域は災害の影響がいまだに残っているところだったので、倒壊した建物を見てはこころを私が病んでしまい、毎日発狂しそうななにかを抱えていました。まだ現地に着いてから1か月しか経っていないある日の朝5時に目が覚めてからなにかにとりつかれたように死にたくなって、シェアハウスしていたところから飛び降りたくなって、自殺相談ダイヤルに電話したら即救急搬送されて20日入院してきました。そこはスマートフォンも使える良い場所で、食事も美味しかったです。そしてその後強制帰国されました。当時の主治医にはPTSDと言われていて、診断書上ではパニック障害となっていましたが、どちらも違うと私は考えています。

DSM-5の話

以下、DSM-5を引用してお話しします。

DSM-5 Criteria for PTSD
Full copyrighted criteria are available from the American Psychiatric Association (1). All of the criteria are required for the diagnosis of PTSD. The following text summarizes the diagnostic criteria:

Criterion A (one required): The person was exposed to: death, threatened death, actual or threatened serious injury, or actual or threatened sexual violence, in the following way(s):

Direct exposure
Witnessing the trauma
Learning that a relative or close friend was exposed to a trauma
Indirect exposure to aversive details of the trauma, usually in the course of professional duties (e.g., first responders, medics)
Criterion B (one required): The traumatic event is persistently re-experienced, in the following way(s):

Unwanted upsetting memories
Nightmares
Flashbacks
Emotional distress after exposure to traumatic reminders
Physical reactivity after exposure to traumatic reminders
Criterion C (one required): Avoidance of trauma-related stimuli after the trauma, in the following way(s):

Trauma-related thoughts or feelings
Trauma-related reminders
Criterion D (two required): Negative thoughts or feelings that began or worsened after the trauma, in the following way(s):

Inability to recall key features of the trauma
Overly negative thoughts and assumptions about oneself or the world
Exaggerated blame of self or others for causing the trauma
Negative affect
Decreased interest in activities
Feeling isolated
Difficulty experiencing positive affect
Criterion E (two required): Trauma-related arousal and reactivity that began or worsened after the trauma, in the following way(s):

Irritability or aggression
Risky or destructive behavior
Hypervigilance
Heightened startle reaction
Difficulty concentrating
Difficulty sleeping
Criterion F (required): Symptoms last for more than 1 month.

Criterion G (required): Symptoms create distress or functional impairment (e.g., social, occupational).

Criterion H (required): Symptoms are not due to medication, substance use, or other illness.

Two specifications:

Dissociative Specification. In addition to meeting criteria for diagnosis, an individual experiences high levels of either of the following in reaction to trauma-related stimuli:
Depersonalization. Experience of being an outside observer of or detached from oneself (e.g., feeling as if "this is not happening to me" or one were in a dream).
Derealization. Experience of unreality, distance, or distortion (e.g., "things are not real").
Delayed Specification. Full diagnostic criteria are not met until at least six months after the trauma(s), although onset of symptoms may occur immediately.

引用: 

https://www.ptsd.va.gov/professional/treat/essentials/dsm5_ptsd.asp

つまり

基準 A (1 つ必須): その人は、以下の方法で、死、死の危機、実際のまたは脅迫された重傷、または実際のまたは脅迫された性的暴力にさらされました。

直接暴露
トラウマを目の当たりにする
親戚や親しい友人がトラウマにさらされたことを知る
トラウマの嫌悪的な詳細への間接的な暴露、通常は専門的な職務の過程で(例えば、最初の対応者、医療関係者)

疲れているので自動翻訳で失礼しますが、つまり私の場合は「直接被災したわけではない」のでそもそもPTSDとは診断できないのです。そう診断した医者がいるとすれば、彼らは診断基準を満たしていないのに診断したということになり、大問題です。日本の主治医からもPTSDだとは口頭でしか言われていないので、つまりはそういうことです。

次に、パニック障害についてですが、

症状と徴候
パニック発作では, パニック発作の症状の表に挙げられた13症状のうち4つ以上の症状を伴って,強い恐怖または不快感が突然出現する。通常,症状は10分以内にピークに達し,その後数分以内に消失し,医師にもほとんど観察できないほどになる。パニック発作は(ときに極めて)不快であるが,医学的に危険ではない。パニック発作はあらゆる不安症で生じうるが,通常はその疾患の中核となる特徴に結びついた状況において起こる(例,ヘビ恐怖症の患者はヘビを見たときにパニックに陥る)。このようなパニック発作は,予期されるパニック発作と呼ばれる。予期されないパニック発作とは,明らかな誘因がなく,自然発生的に生じるものである。

出典: 

パニック発作およびパニック症 - 08. 精神障害 - MSDマニュアル プロフェッショナル版

私の場合は、明らかに災害に関連している発作しか出ないので、これもまたおかしいのです。

しかし、私は医師ではないので、診断などできませんし、つまり誰も私の病気―病名という意味ではなく、私が抱えている困難―を正確に判断できていないのです。私も含めています。知り合いの大学教員の部屋にあったDSM-5を読み込んでいると、どちらの診断名もおかしいということがわかるのです。